感性で捉え、その本質を理解しようとする、あなどれない子ども達。
小6となれば、時として、大人以上に感性が鋭く、面白くもあり、時々びっくりさせられる。
社会に順応していく生き方を、親の背中で示すとは、荷が重く、なんともムズい。
哲学的な会話を子どもと交わせる程、わたしは、博学でも知識人でも、社会的に立派な肩書きや立場があるわけでもないし。
だけど、苦しい時世の中でも、シビアなジャッジを続け、少しずつ社会に貢献する親の姿が「仕事の概念」を形成し、
また、親が自分で在り続けるナチュラル(役割に囚われずにアイデンティティを崩さない)な生き方を示すことが、「人が、一人の人間として生きることの楽しさ。」を日常的に身近に感じ、そして様々な体験から学び得てくれるものであってほしい。
本来、哲学とは、そういうものなのかもしれない。
学び得る感性を肯定し、見守り続けることは、
「逆境に負けず、自分の在りたい姿として能動的にアウトプットできる力(全ての基本的生き抜く力となる"自己肯定力")」
に繋がるのかもしれないし、私自身の背中がそうでありたいと思った。