~木で作られた鹿の親子は、
隣の家の、祖母の応接間の戸棚に飾られていた。
幼い頃、この鹿の置物が大好きだった。
祖母の応接間に入っては、戸棚の硝子越しから眺めていた。
先日の帰省時、処分されてしまうのならばと、持ち帰らせてもらった。
硝子戸のように隔てるものがなくなり、鹿の親子は自由に歩き出しそうでいて、そして、かすかに祖母の家の匂いもする。
なのに、昔私が見ていた鹿の親子とは何かが違う、いや全然違う。ふと、気付いた。
幼心に、言われなくとも棚の戸を勝手に引いてはいけないと、分かっていた。
幼い時の私が眺めていた「おばあちゃんの家にある、硝子戸の中のかわいい置物」は、ラムネ瓶のビー玉のように、眺めている時間さえ忘れてしまうほど、小さなハートを、きらめかせてくれるものだった。
~時折、詩を書くことがある私は、ふと、遺品の中の詩集を手にした。
最後のページに、祖母の走り書きの詩が挟まっていることに気が付いた。
お菓子の包み紙に書かれた、亡き祖母の詩は、新しい生命の誕生が詠まれた美しい詩景から、死の尊さが際立った。
祖母からの粋なメッセージだったのかもしれない。
人の一生は、感覚的に短い。
人生というものが、過ごした時間の重さに比べ、感覚的に短いことは、何となく私も気付いている。
今年も残り2ヶ月となった。